備忘録 その2

雪降る中を何十分か、ただ待っていました。
何度となく余震が起きて電線が揺れる様を
眺めるばかりでした。
 
時折、携帯でテレビを見ました。津波到達予想
時刻を繰り返し告げていました。とにかくただ、
状況が把握できて、次の対処に移れるときを、
公園で待つことしかできませんでした。次第に
体は冷えていたはずですが、不思議とそれほど
寒い感覚はありませんでした。
 
一時間ほど経ち、屋内に戻りました。停電で
空調の切れたフロアで、8〜90人ほどが、
それぞれ寄り集まって、携帯やラジオの音声に
ひたすら集中している状態、そして日暮れが
近づいていました。
 
ここで少し素性を明かし話しましょう。俺の
勤めているのは、塾です。つまり、この8〜
90人の大半は、未成年の学生さんです。
自然災害に直面しましたが、自らのサバイブも
さることながら、彼ら全員を無事に親元に帰す
ことが、重要なタスクとなったわけです。
 
自分の担当する子らは、割と順調に帰路へと
ついていました。結局残り1名にまで減った
こともあり、早々に他部門の指揮系統に拠る
事になりました。残された子は飄々とした
性格で、いつも通りの振る舞いが、かえって
こちらを安心させてくれました。知らぬ間に
雪は止み、通りは車も人も騒がしい様子でした。
 
家が近所の子、首尾よく親と連絡がつけられた
子らが、少しずつ校舎をあとにしていきます。
日暮れを迎えてもなお、ポツリポツリとその
流れが続いていました。しかし、それでもなお
3〜40人ほどが残っていました。
  
この段階では、もう電話がつながることは稀で、
親と新たに連絡が取れたという子はほとんどいなく
なってしまいました。宵に入り、しだいに体が
冷えてきました。備蓄のカンパンで、空腹を
感じることは避けられたものの、現実的な
問題として、この夜をどう迎えるのか。上役
たちが懸命に駆け回っていました。
 
結局、19時を過ぎて、長町にある寮へ全員で
移動し、そこで夜を明かすことになりました。
4キロ弱の道のり、普段なら1時間と少々で
到着できるところですが、この時、街がいま
どんな状態になっているのか、まるで知らぬ
ままに、40人を超える集団で歩きだしました。
(つづく)