備忘録 その6

12日の夜中だったでしょうか。やっと電気が
復旧し、ひとまずの安堵を得ました。その頃には
とうに、俺の携帯の電源はほぼ尽きていましたから、
もうすぐ音信不通になるという状態でした。しかし
自分の親兄弟の心配をしたところで、どのみち
電話がつながらないので、自分の携帯はさておき、
学生たちに充電器は貸し与えます。
 
どうにかこうにか、続く2日間で、学生は順調に
親元へと戻り、残りは6人、というところまで
減りました。ここまで来ると、そう簡単には
戻れそうにない子と、そう簡単には戻れない
職員のみが残されていました。
 
東松島登米から仙台に来ていた子、相馬や白石へ
帰る手段のない職員、多賀城は状況が不安定で、
やむを得ず寮に身を寄せた職員。そんな中で
直ぐ近所に住む自分もまた、家屋に不安を抱え、
少しでもゆっくり眠れそうな寮へと居候を続けて
おりました。居候の御礼ということで、家に
散らばっていた食材、炊飯器、電気鍋、床ワイパー、
シャンプーにリンス。手当たり次第、「日常」
もたらせる物資を持ち込んだことを覚えています。
 
一週間が過ぎたところで、ようやく石巻の妹も
連絡が取れました。これで親類縁者全て無事を
確認でき、個人的な安堵を得ました。あとは
ここに身を寄せた子らが全て帰すことができれば、
人生に突然降って沸いたミッションに一段落です。
 
その頃はもう、仕事といってもすることが無い
ため、FMで災害放送制作をやっていました。
情報を拾い、原稿を書き、読む者がいなければ
自分で読み、完パケファイルを仕上げる。実に
淡々とやっていました。ただそれが、そのときに
できるベストだったから、やっていました。
 
昼前にスタジオへ出かけ、日暮れに寮へ帰る
日々を繰り返した数日目、遂に最後に残った
学生が、親戚の家へと向かう手はずを得ました。
市内ながら徒歩で行ったことが無いという
彼女に、道筋を丹念に教え、手を振り見送り
終えた、その日の夜に、ようやく疲れを正直に
感じることができました。
 
余分な修辞を避けた、ただの備忘録です。
イムリーでもなければ、1周年とかの区切り
というわけでもありません。でも、書きたい
ことだったし、読んでほしかったので、今回
書かせていただきました。備忘録シリーズ、
今日でラストです。長々と失礼いたしました。