天秤に掛けてみよう

そりゃあもう、目に見えないモノの恐怖ってあるでしょう。
そんで、その原因を絶やしたくなる気持ちも当然でしょう。
 
別に原発をどうしろという主張はここではしません。
ただ、そのことばかり構っていたら、既に訪れ触れている
危険であるとか、これから直面するかもしれないリスクを
冷静に見ることができないと思うのですよ。1945年に
起こった凄惨な出来事、そこから66年後に発生した事故。
そう考えたら、まだ僕等の生きる時代に、これ以上の
災厄が訪れない、などと示せるはずがない。
 
日常過ごしているなかに、もっといろいろ災難ってあった
はずでしょうに、比較もせず騒ぐだけ騒ぐ人がいる限り、
事は進まないのだと思うのですよ。名古屋の某次第の
ご高名な教授様などは最たるもので。主張は主張で逐次
すればよいものを、「青酸カリ入り野菜」「対策しない
政府は転覆させなければ」など、勝手に盛り上がり
ブチ上げているのを読むほどに、ドン引きしちゃう。
 
なんかもう、このままじゃ理系科学者は「お金大好きさん」
あるいは「教祖様」のどちらかしか居なくなってしまう
ような錯覚さえ覚える。
 
そう、ある程度の物事は、一般大衆だって自分で見聞し
自分なりの見解構築や判断が可能になれてるはず、と
思うのですよ。学者様や政治家様を揶揄していじくって
過ごしてきたはずなのに、いま敢えて、そんな人々を
頼る気持ちになる必要はあるだろうか?自力で考える
ことができる知性を、高度に教育され続けた私たちは
獲得していたはずなのでは?と思う。
 
人の話など鵜呑みにしないで、信憑に足る情報を集め、
自分で自分を納得させ得る言行を目指しましょうよ。
放射線のリスクはもう散々聞いたから、いままで
僕等が持っていたリスク、例えば感染症や喫煙とか
メンタルヘルスとか、そういうものとじっくりみっちり
比較する段階に来てると思います。
 
だって、そうじゃないとですよ。
目に見えないモノにヒステリーを起こしながら、この先
残った寿命を生き続けることになるんですよ。そりゃあ
甲状腺異常を起こして死ぬのは嫌だけど、自分らしく
生きられないことは、もっと嫌ですよ。