雨は待ってくれた

つかの間の晴れ間になるのかな。
  
いま一番恐れているのは、絶望感です。
山あいの集落で細々と、でも確かな営みを
続けて来て、そしてこれからも続けゆく
はずだった人々に、自然の災禍は否応なしの
転換を迫ったわけです。
  
将来に良い結果がもたらされて、被災者の
皆さんが新しい土地で新しい生活を構築
できたとしても、人が去った場所は、そこに
存在した営みを記憶し伝えてくれはしません。
東北の山里は、そうやってまた一つ二つ、
ひっそりと忘れられてしまう、人によっては
忘れたい場所になったりしながら。
  
震源地から直線で50km程度離れた地元も、
同じ震度を食らっていれば絶望が支配する
場所になっていたんだろうな、とか思うと
寒い気分になってしまいます。自分の故郷が
薄くフェードアウトしながら地図上から
消えていくような想像、これは相当にキツイ。
  
故郷は故郷として、ただ細々とでも存在して、
いつの日も俺を待っていてくれる。それで
十分なのに、それさえも危うい時代、そう
思うしかないのかなあ。そう思うからこそ、
被災地にはしっかりと復興してもらわないと
非常に困るわけですよ。がんばって。